2010年10月1日(金)
数日前に、NHKでアラーキーさんのドキュメンタリーをやっていました。何の気もなく見ていたら、愛する存在との別れがあって、自分の撮影作品が凄くなっている的な事を仰っていて、まさかと思って見ていたら、“チロ愛死”と言う作品の紹介が・・・びっくりして、改めて、読みかけのままになっていた“東京日和”を手に取りました。最近は毎月のライブ活動が忙しくて、つまりアウトプットする事が多すぎて、作品を見たりのインプット作業がおろそかになってしまっていた事を思い出しつつ、読み始めました。アラーキーさんの“東京日和”を読み始めて、陽子さんと離れ、いよいよチロとも離れなければいけなくなったアラーキーさんの事を想いつつ、何故か自分が作ってきた芝居の事を考えました。僕が2003年に初めて作った芝居は、ハービー山口さんというカメラマンの方の写真集にインスパイアされた“after the dream”と言う作品で、男の子が愛する人と出会い、突然の事故で失ってしまう、その2つの瞬間を切り取ったお話でした。自分が父親になり、2年のブランクを置いて2010年、6本目に作った芝居である“not too late”は、その突然の事故から10年後、事故で亡くなってしまった女の子の友人達3人が、もう一度その事故と向き合い、生きて行くと言う作品になりました。子供と向き合うようになって自分は、死ではなく、生と向き合うようになったんだなぁと、漠然と考えていました。何しろ、出産に立ち会い経験するまで、死と言う事は意識できても、産まれると言う事を改めて考えた事もなかったのですから。テーマにできる訳がなかったのです。(あくまで、僕の場合。)で、アラーキーさんの話に戻るのですが、今回、“東京日和”を読み返して、僕が改めて気がついた事があります。それは、“生と向き合う事は、死と向き合う事でもある”と言う事でした。子供達は生き生きとしていて、とても強く生を感じさせてくれます。でも同時に、自分が子供の頃よりも歳をとった両親と向き合うことにもなり、自分が永遠に子供達と一緒にいれない事も、つまり、いつか、別れがくる事も、何となく意識している自分がいたりします。いつか自分にもやって来る死と向き合う感じです。ただ、子供が産まれて、“生と向き合う事を通して、死と向き合う事”は、ただ、漠然と死をイメージしていた頃と比べて、とても、力強いように感じるのです。ある意味、覚悟ができていると言うか、そこに挑んで行くような感じがするのです。そんな事を思いながら、アラーキーさんの名作“東京日和”を読み、“チロ愛死" を絶対に買いに行こうと、こんなに大切な事を教えてくれた事に感謝しつつ、思っている自分がいます。
そして、息子は今、高熱と戦っています。僕も一緒に戦う事にします。
そして、息子は今、高熱と戦っています。僕も一緒に戦う事にします。
2010年10月02日 Posted byリッキー at 00:28 │Comments(0) │日記
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。